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妙技で見物客を笑いと涙の興奮のるつぼに
猿倉人形芝居
猿倉人形芝居は、与八こと池田与八(芸名吉田若丸)が創始者です。今は本荘市の木内勇吉一座、合川町の吉田千代勝一座、羽後町の鈴木栄太郎一座の三座があとを引き継いでいます。
与八は17歳のころ、本荘で上州の旅芸人の人形操りに魅せられたのが、きっかけとなり人形芝居に没頭するようになりました。近衛歩兵連隊に入隊し、暇をみては、浅草の吉田文楽座に出入りし、自分の工夫した人形の握り方を比較しながら、文楽の研究に心魂を打ちこんだようです。除隊後知り合った、真坂藤吉と丸田今朝蔵の協力を得て、新しい人形芝居の道を開拓し、今日にみる猿倉人形芝居を完成するに至ったのです。
猿倉人形芝居は、芝居の面白さもさることながら、立派な興業施設の必要はなく、時には民家の座敷でも簡易に出来ることから、民衆にも根強い支持を得るようになりました。
人形芝居はもともと、神の霊力のある人形を置きさらに霊力を広めるために、山車(だし)などを用いて移動させようとしたところに、最初の形があったようです。のちに、ストーリーをつくって演じるようになり完成します。語りの地として、義太夫・説経説(せっきょうぶし)・文弥節(ぶんやぶし)・謡曲・浪曲などを派生させていきます。猿倉人形芝居は、与八が文楽を基礎に面白いストーリーを盛り込んで創案したのです。
人形の操法上の特徴は、指人形ハサミ式に分類されます。ハサミ式は、遣い手の指の間にカシラのノド木を挟み、人形の左右の手をそれぞれ、遣い手の親指と小指にはめこんで、遣う様式です。
演目は、「山中団九郎」・「児雷也」(じらいや)・「白井権八笠脱の場」・「堀部安兵衛」・「太閤記」・「忠臣蔵」など多彩です。
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